東大新聞の爆笑問題の記事

爆笑問題が面白いかどうかはともかくとして、彼らはとても真面目で、その姿勢がとても勉強になる。
笑いと教養とを対応させて話している記事が東大新聞の一面に載っていた。
人間がやっていることは究極的には他の人に何かを伝えることなんだ、と。笑いについては当然そうで、ネタとして面白いと思ったことをいかに他の人に伝えるかと言うことが大事で難しいんだ、と。そういう話だった。
いやはや。近ごろはそれなりにそういうことに気を遣いながら話したり書いたりしているつもりなのだけれども、人に伝えようとすることを忘れた行動も、まだまだたくさん取っている。
自分が感動したということを伝えたいとき、「どう感動したか」じゃなくて「どういう道筋を通って感動したか」という風にとらえることで、相手にその感動を伝えることが出来るかも知れない。アインシュタインだってそうで、自分が考えついたことを数式や言語を使って表したから、数式を読める人ならアインシュタインの頭の中を知ることが出来るようになったんだ。そんなことを大田と田中が言っていた。
私は学問に関して象牙の塔になるつもりは無いけれど、しかし日常的なシーンにおいてこういう考え方をしたことはほとんど無かった。
ブログに書いていた内容も、自分がどう思ったか、その記載・メモが多かったと思う。他の人に伝わるようにと言うことは考えなくもなかったけど、しかし考え自体の変化を書くようなことはなかった。
そういうところが今の自分には不足しているな、と感じた次第。

大田が選挙に出馬したら投票しそうだ。