挑発と認定。

実力がないから、という言い訳 - 日記を書く [・w・] はやみずさん

でも、自分よりも高いレベルの人がいるところに、興味があるのに行かないのは単なる逃げでしかないし、何も得るものがない。結局はちっぽけな自尊心を守ろうと逃げているだけ。自分が確実にトップにいられる集団でぬくぬくしていても、成長は望めないよね。

その挑発、乗った。


参加しようかどうか迷った半分の理由は、いかにも「自分の実力不足が恥ずかしいから」。残りの半分は「たった30席しかないところを自分で埋めてしまうのが申し訳ないから」。しかし上記の挑発に乗ってはじめの一つを吹き飛ばし、親の教え(もらえるものはもらっておけ)を思い返すことで次の半分もぶっ潰し、とりあえずチャンスは利用しておくことにした。
つまりは参加希望メールの送信ボタンを押した。


この学科に来たときに、チャンスは利用していくぞーと決意してた。それでまあ読書会や会社見学、五月祭の班のサブリーダーやプログラミングコンテスト演習なんかに参加してきたわけです。(SICP読書会は見送りましたが)
でも今回のこれはレベルが高すぎて、本当に私なんぞが参加して良いのかとそれこそ本気で怯んでた。今も怯んでる。
しかし、参加してみて受ける刺激って言うのは他ではきっと味わえないものなのだろうと思う。それを考えると、予定があるわけでもないのに参加しない理由は「怖い」ってこと以外に何もなかった。


ネットワーク工学概論の最後の授業でIIJの副社長の方が来られたときに、まっとうな質問を出来なかったことを悔やんでる。チャンスをものにするためには、普段からの準備が大事なんだとひしひしと感じた。
チャンスは自分で掴むものとは言うけれど、チャンスは自分で見つけ出すものだとはあまり言わないよね。私はチャンスは見つけ出すものだという方が感覚に合う。


さて、夏は何をしようか。地道にネットワークとLispだけでいいのかな?
OSの本も読んでおくべきかも知れない。BSDをサーバとしてセットアップする時間はあるだろうか。ハードウェアは?
ぬぁん。色々ありすぎる。でもそれくらいが人間ちょうど良いのかも知れない。


==続き==
同記事のYK氏のコメントより。

負からの脱却経験は時に盲信と傲慢を生む恐れがある

肝に銘じておきます。実に耳に痛い…。
今回は、自分の力不足は大いに認識したうえで、参加することで得るものがあるならば人に遠慮すべきではないという考えです。と、まとめてみる。


自分の甘えに気づけて良かったと思う。感謝。